新しい時代の認知症ケア④「認知症になっても大丈夫」と本人が思える時代へ

新しい時代の認知症ケアシリーズの第4回になります。

1回目:BPSDの対応」ではなく「BPSDの予防」が主流になっていく
2回目:「後手の認知症ケア」から「先手の認知症ケア」へ
3回目:「足し算の認知症ケア」から「引き算の認知症ケア」へ

今回は「認知症になっても大丈夫」と本人が思える時代へというテーマで考えてみたいと思います。

今までの「認知症になっても安心」は本人目線ではなかった

“認知症じゃない人”が安心して暮らせることが裏テーマだった

『認知症になっても安心して暮らせる街づくり』とか、『認知症の人が住みやすい地域に』というのが、ここ数年の重要なキーワードになっていますよね。

しかし、以前尊敬する都立松沢病院院長の斎藤正彦先生が練馬区でこのようなテーマで講演された際に仰っていたことが、今でも私の心に残っています。

「認知症の人が安心して暮らせる地域に」と言うが、認知症の人が安心できる環境というのは簡単ではない。今お役人がやっていることは、認知症じゃない人が安心したいという目線で考えられている。それだと本当の意味での「認知症の人が安心して暮らせる」は作れない」 

これを聞いたとき、妙に納得したのを覚えています。このお話を聞いたのは数年前ですが、今もさほど変わっていないと思います。

「認知症になったら人生が終わりだ」

認知症について知らない人はいない、というくらい認知症という病名は広がったと思います。でも、「認知症の正しい知識」はまだまだ広がっていないと思います。

未だに「認知症になるならがんの方がいい」とか「認知症になるなら死んだ方がいい」と言う人が多いことがその証明だと言えるのではないでしょうか。

以前にもブログに書いたことがありますが、確かに認知症はハッピーな要素ではありません。ただ、死んだ方がマシと言うほどの悪いものでもありません。「がんの方がいい」と言うのも、がん治療の実際を知らないだけだと思います。

認知症も数ある病気の一つでしかありません。認知症への過度な恐怖は幻想です。
ここを私たち専門職が変えていかなければなりません。一般の人と同じように「認知症大変ですー」なんて言ってる人は、自分の役割を考え直して欲しいと思います。

情報を疑う視点を

私は、情報って「自分から取りに行く情報」と「勝手に入ってくる情報」の2つがあると思っています。「自分から取りに行く情報」は自分で「知りたい」と思っている情報なので、納得するまで調べます。おそらくこの時に「この情報、本当?」と疑っている視点もあって、この疑う視点が大事だと思っています。

一方で「勝手に入ってくる情報」は、テレビやインターネット、SNSなどから自分の意図とは別に入ってくる情報です。こういう情報は、そのとき観たこと、聞いたこと、知ったことを丸ごと自分のなかに入れてしまう傾向があります。とくにこれがテレビで、プしかもレゼンする人が上手いと「私もそう思ってました!」「絶対そうだと思います!」みたいな錯覚になることも・・。。。

認知症を勉強しよう!と思う人が別ですが、それ以外の人は認知症の情報っておそらく、「勝手に入ってくる情報」なんだと思います。

ネガティブな情報を丸呑みしない

で、そういう情報ってネガティブなものが多く、それを丸ごと正しい情報だと信じてしまうから、「認知症になるならがんの方がいい」「認知症になるなら死んだ方がいい」ということになってしまうんだと思う。

がん治療は確かに進歩していて、早期発見で完治する人も増えました。芸能人でもがんを克服した人が取り上げられたりします。でも、そこが全てではないんです。がんで苦しむ人はたくさんいます。「認知症になるならがんの方がいい」というのはがんと戦っている人に失礼だと私は思います。

前回のブログでご紹介した工藤広伸さんから以前聞いた話なのですが、工藤さんは「壮絶な介護の話はしません」と言っているそうで、そのように伝えるとお断りされることがあるんだそうです。認知症に限ったことではありませんが、ワイドショーなどではネガティブな内容の方が、視聴率が上がるそうです。そういうことも頭に入れながら、情報を取っていく知恵をつけていかなければなりませんね。

専門職が「認知症になるなら死んだ方がいい」を助長させている可能性

ここまで「社会における認知症」という視点で書きましたので、「専門職の私たちには関係ないじゃーん」と思っている人がいるかもしれませんが・・・

あります!!!(なんかいつかの会見を思い出す・・・ww)

専門職が「認知症になるなら死んだ方がいい」を助長させている可能性があります。どういうことかというと・・・

「認知症」と「非認知症」の差別

これを家族が知ったらどう思うだろう・・・と思って書くのを迷いましたが、事実ですので書きます。医療・介護の現場では、非認知症の人には丁寧に対応し、認知症の人には雑に対応する、というのがよくあります。

例えば

認知症じゃない人には

お食事が来ますので、そろそろ食堂へいらして下さい。急がなくて大丈夫ですよー

と優しいけど

認知症の人には

ご飯くるよー。今そんなことしなくていいって!もー早くー(怒)

みたいな。現場で勤める人は「あーあるあるー」って思っているんじゃないでしょうか。家族には絶対見せられない場面です。

でも、ここなんですよ!これが「認知症になるなら死んだ方がいい」に繋がるんですよ。

認知症じゃない人もこの差別を感じています。おそらく「認知症じゃなくてよかった」と感じているでしょう。同時に「認知症になったら私のあんな冷たくされるんだ・・・」と不安や恐怖も感じているはずです。

もしかしたら、介護現場でケアを受けている認知症じゃない人が1番「認知症にはなりたくない」と思っているのではないか、と思ってしまいました。もしそうだとしたら、こんな情けないことはありません。

専門職だからこそ「認知症になっても大丈夫」という社会を作れる

『認知症になっても安心して暮らせる街づくり』はお役人に任せればいいということではありません。これからは専門職こそしっかりと当事者意識を持つことが必要だと私は思います。

目の前にいる人のケアを丁寧にする

社会に向けて特別なことをしなくてはいけない、ということではありません。自分の現場にいる認知症の人に丁寧に対応する、それだけで十分です。認知症」と「非認知症」を差別することなく、淡々と冷静にニーズに答えていく。その積み重ねが、事業所全体の質を上げ、利用者からの信頼を得ることに繋がります。

認知症じゃない人に

ここの事業所(デイサービス、施設など)だったら、私認知症になっても大丈夫だわね♡

言ってもらえるようになれば、早期発見、早期治療、BPSDの予防など全てに良い影響を与えることは間違いありません。

現場の現状をオープンにする

最初にも書いたように、認知症になることは決してハッピーなことではありません。でも、これは他の病気と同じです。認知症に対してネガティブな感覚を持っている専門職がいることは事実ですが、そうじゃない人の方が圧倒的に多いです。介護現場で働く大半の人は「認知症ってそんなに悪くない」ってわかっています。でも、それを言ってしまうと認知症の人を馬鹿にしてると思われるんじゃないか、と勘違いしている人がいます。でも、大丈夫ですよ。私も「認知症好きです♡」とオープンにした時は、同業者から意味不明なネガティブコメントをもらったことがありますが(笑)、家族の方は「認知症を好きって言う看護師さんがいて安心しました!」って言ってくれた方が圧倒的に多かったですから。

逆に、ネガティブな側面を変にタブー化して隠す必要もありません。隠している限り、そこに向き合って解決に導くこともできませんから。タブー化されていることを表面化して向き合っていくこともこれから求められていくと思っています。

まとめ

長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します!最初の斎藤正彦先生の言葉にもあったように「認知症になっても安心して生活する」というのは簡単ではないと思いますし、私はそもそも「不安が全くない」ということを求めること自体がおかしいのでは?と思います。ですが、専門職の対応で不安を助長させることは避けていく必要があると思うし、不安を抱えながらもできるだけ自分の力で今日を生きていくお手伝いをしていくことが私たち専門職の役割だと考えます。

追加のご紹介

最初にご紹介した都立松沢病院院長の斎藤正彦先生が以前に相模原大量殺傷事件について書かれたコラムがとても印象的だったので、リンクを貼り付けます。医療・介護・福祉に関わる方は1度読んでおいてほしい内容です。

http://www.byouin.metro.tokyo.jp/matsuzawa/aboutus/matsuzawa_voice/column/column20160816.html

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