新しい時代の認知症ケア⑤認知症の告知が当たり前になる時代へ

新しい時代の認知症ケアシリーズの第5回、最終回になります。

1回目:BPSDの対応」ではなく「BPSDの予防」が主流になっていく
2回目:「後手の認知症ケア」から「先手の認知症ケア」へ
3回目:「足し算の認知症ケア」から「引き算の認知症ケア」へ
4回目:認知症になっても大丈夫」と本人が思える時代へ

最終回は認知症の告知が当たり前になる時代へへというテーマで考えてみたいと思います。

認知症とインフォームドコンセント

今、医療はインフォームドコンセントが基本です。

【インフォームドコンセントとは】
インフォームドコンセントとは、患者・家族が病状や治療について十分に理解し、また、医療職も患者・家族の意向や様々な状況や説明内容をどのように受け止めたか、どのような医療を選択するか、患者・家族、医療職、ソーシャルワーカーやケアマネジャーなど関係者と互いに情報共有し、皆で合意するプロセスである。(公益社団法人日本看護協会HPより)

昔は、「こういう病気だから、こういう感じで治療していきますよ」と医者が決めて、それに従う時代でしたが、今は「説明と同意」による自己決定が基本になっています。それに伴い、様々な病気で告知がしっかりされるようになってきましたが、病気によっては告知されない場面もあります。

認知症は告知されにくい病気のひとつ

認知症は、「告知されない病気」の代表格ではないかなーと私は感じています。

その理由としては、前回のブログで書いたように「認知症になるくらいなら死んだ方がいい」と思っている人もいますし、進行度によっては病気について理解できない状況の場合があるからだと思います。また、「治らないのなら告知をされても意味がない」と思っている人もいるようです。

医師によっても意見が分かれる

色々な医師の話を聞きに行きますが、認知症専門医でも告知に関しても様々な考え方があるようです。

「どんな状況でも本人に告知するべき。医者が勝手に“告知する・しない”を決定するべきではない」と仰って積極的に告知をしている医師もいますし、「本人が苦しむだろうとわかっていることをあえて突きつける必要はない」と考えて家族にだけ告知をしている医師もいます。

決してどちらが正しい、ということはありません。どちらの医師も本人・家族にとって何が幸せか、を真剣に考えた結果なのだと思います。

告知が進まないのは医師のせいではない

※後で理由は書きますが、私個人としては告知が進んでほしいと思っています。

今の状況で告知は難しいこと

他の病気と比較すると、認知症の告知は進んでいないように感じます。告知は医師がするものです。しかし、だからといって認知症の告知が進まないのは、医師のせいではありません。

「認知症になるくらいなら死んだ方がいい」と思っている人が多いなかで、告知するのは非常に難しいと思います。

私が医者なら、今の状況では認知症の告知はできません。では、どんな状況なら告知ができるでしょうか?

ここで今までの①~④の記事が全て繋がるのですが、「認知症になっても大丈夫」と思う人が増えれば、告知はもっと進むのではないでしょうか。

専門職の行動が告知を妨げている

施設に入った人や、デイサービスに通う人、その家族、働くスタッフ、ボランティアなど、認知症に関わる全ての人が、「認知症になっても大丈夫」というイメージを持つことができたら、医師も積極的に告知や治療方針を伝えることができるはずです。

しかし、現状では専門職である我々が、自分たちが働く事業所の利用者すら安心させることができず、認知症に対する過度な負のイメージをなかなか払拭することができないことが、告知を妨げているのではないでしょうか。

本人が望む治療・介護を受けられる時代へ

認知症の早期発見、早期治療は今では当たり前の考え方になっていますが、10年くらい前は「治らない病気なのに治療で長生きさせるのは無駄でなないか?」という考えの人もたくさんいました。

価値観はさまざまなので、このような意見を否定するつもりはありません。ただ私はたくさんの認知症の人を見てきて、早期発見、早期治療には賛成です。

早期発見、早期治療のメリット

「アリセプトは効かない」とか色々いう人もいますが、私は薬がどうこうよりも、認知機能がしっかりしているうちにどんな治療方法があって、何を選ぶのか、を自分で決められることだと思います。

また、これから長く関わることになる医師と早い段階からコミュニケーションを取っておくことで、本人や家族だけでなく、医師(医療スタッフ)側にとっても、認知機能が低下していない状態を知っていることで、認知症が進行しても「この人ならこういう判断をするかな」という予測を立てながら、治療や介護を選択していくことができます。

告知はスタートライン

私は自分が認知症になったときは告知をしてほしいと思っていますし、母が認知症になったら告知してもらいます。すでに、「認知症になったら毎日ネタにしてブログに書くね♡だから大丈夫だよ!」と、何が大丈夫かわからないという疑問を無視して言い続けています。

告知は終わりを突きつけることではなく、スタートラインに立つということだと思うんです。

・これからどうしたい?
・どんなヘルパーさんにきてほしい?
・どういうデイサービスに行きたい?
・オムツになったときのこだわりとかある?
・お金の確認しておいた方がいいよね?
・施設に入るときどのパジャマ持っていく?

とか、色々考えておかなきゃいけないことがあるから。

だからこそ、認知症の告知がもっと当たり前になってほしいし、そういう時代になっていくと思っています。そのために専門職として何ができるのか?どんな準備をしておかなければいけないか?をこれからも皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。

まとめ

医師でもない私が認知症の告知について書いていいのだろうか?と思う部分も多少ありましたが、記事でも書いたように医師以外の専門職も告知に関係していると感じたので、書かせて頂きました。最近は医療を離れて医師とお話する機会がないのですが、そのような機会があれば是非聞いてみたいと思います。

これで、新しい時代の認知症ケアシリーズは終わりです。最後まで読んで頂き、ありがとうございました!


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1 個のコメント

  • お師匠様

    いつもありがとうございます。

    ”現状では専門職である我々が、自分たちが働く事業所の利用者すら安心させることができず、認知症に対する過度な負のイメージをなかなか払拭することができないことが、告知を妨げているのではないでしょうか。”

    この言葉はずっしりと響きます。
    いろいろ至らないことがある中でどうすれば、その方(事業所の利用者)が安心されるのか?

    「私は、頑張っています。」大抵のスタッフはそう思っています。そこが課題。中心にいるのが自分。
    この意識を脱却する。(こう思えるかどうか)

    安易に流れる水を一定の方向に向けるのは難しいですが、徐々に馴染んできたスタッフが増えつつあります。

    障害(認知症)があっても安心で暮らせる日々を作り出す。これからもよろしくお願いします。