別の言い方に変わっても同じ

こんにちは ブルーベル代表 市村幸美です

潰瘍性大腸炎がまた再燃してしまいましたーー(涙)。たった3ヶ月の寛解。。。まぁそういう病気なんで仕方がないですね。

さて、今日はずっと書こうと思っていたことを書きます

なかなか書けなかったのは、いろんな人を敵に回してしまいそうだから(笑)

でも、書いちゃいます!

テーマは

別の言い方に変わっても、その言葉に対するイメージが変わらなければ意味がないよね

という話

例えば

痴呆から認知症に変わったのも、痴呆という言葉の意味が「何もわからない」というイメージをもつから

という背景があったと思うのですが

認知症という名称になって、世間が感じていた認知症に対する悪いイメージが払拭された!とか感じてます?

私は名前が変わっても、世間の認知症の人に対するイメージって変わってないと思います

認知症ケアの業界でも

・認知症をニンチと呼ぶのをやめよう

・「拒否」という表現をやめよう

・徘徊と呼ばずに「一人歩き」と呼ぼう

などなど

表現を変えようという動きがこの5年くらいでかなり強くなっているなーと思います

私も一時期

この流れに賛同し、息巻いて発信していた時期もあります

確かにどんな言葉を使うかで、頭のなかに思い描くイメージが変わることもある

だけど、新しい言葉を使っているからいいケアができるってわけでもないし、認知症の人の尊厳を守れているわけではない

尊厳を守るなんて簡単なことじゃないですよね

言葉の表現が変わっただけで守れるものじゃない

今でも認知症を痴呆って呼ぶ人もいるけど、その人が認知症の人をバカにしているとは限らない

認知症をニンチって呼んでる専門職でも質の高いケアをしている人はたくさんいる

私が言いたいのは

表現を変えることに意味がないと言っているわけではなくて

表現だけ変えても意味がないよね、ということ

新しい言葉を使っても、認知症の人を楽にすることができなかったら意味ないと思うんです

「うちの施設長がまだ拒否っていう表現を使うんです!」

「上司がニンチって呼ぶんです!」

とか怒りまくっている人とかいるけど

別にいいんじゃないですか?

嫌なら

「最近ははそういう表現をしなくなっているようですよー」って伝えればいい

私個人の意見でした

1 個のコメント

  • お師匠様

    お身体大切に!!!!!!!

    認知症の方が楽になる。笑顔になる。

    何らかの精神疾患があっても、ゆっくり過ごせる。

    そんな環境を創る。

    夢は大きいですが、なかなか日々の実践の中では、

    やり損ねがあります。

    それでも夢を追いかけます。

    ありがとうございます。