虐待を内部告発をした過去

こんにちは、市村です。少し前にツイッターでこんなことを呟きました。

虐待を内部告発した日、何故かアンパンマーチを聴きながら泣いて帰ってきました。

アンパンマンが自分の顔を人に与えるあのシーンには、「自己犠牲なしの正義はありえない」というメッセージだと後から知って、また泣いた。

今回やなせたかし記念館に行ってこのことを思い出しました。

いつか書こう、と思いながらもタイミングをみつけることができず、というか、心のどこかで書くことに抵抗があったのですが、ツイッターで呟いてしまったので、このタイミングで書くことにしました。

虐待を内部告発

勤めていた病棟で虐待

認知症看護認定看護師になって2年目、勤めていた病棟で認知症患者に対する虐待があり、私は内部告発をしました。この虐待は、人によってはグレーだと感じるケースでしたが、私は「絶対に黒だ」という認識でした。本人にも直接訴えましたが、本人は虐待という認識は持っておらず、病棟内でも、“なかったことにしよう” “おかしいとは思うけど騒ぎ立てるのはやめたい”という雰囲気でした。これはもう上に報告するしかない、と決意しました。

あっという間に退職へ

内部告発をすると同じところで働くのは難しいと聴いていましたので、告発する以上辞めなければならないという覚悟はしていました。しかし、思っていた以上のスピードで居場所がなくなりました。何がどう伝わっていて、私が告発したことを誰が知っているのか、、、など全く分からず、誰かに聞くこともできず、夜勤に行ったら「お疲れさまでした」とお花を渡され、「あ、今日で最後なんだ」とわかったような状況でした。職場として大好きだった病棟なので、あのような形で辞めなければならなくなったことは辛かったです。

その人の人生を変えてしまった

そのあとしばらくして、私が告発をした相手の看護師さんが退職をしたことを聞きました。私が告発したことがきっかけだったようです。その方は看護助手からずっと長くその病院に勤めていた方でした。「自分は間違ったことはしていない」と信じていましたが、その人の人生を変えてしまった、ということに強いショックを受けました。正義って何なんだろう?と。私のしたことって何だったんだろう?と。

人として正しいか

この人のためにも私は正義を貫く

「人の人生を変えてまで貫いた自分が思う正義を、この先の人生でずっと訴え続けていこう」と決めました。私がいつも訴えているグレーゾーンのケアを無くすために活動をすることが、この方への罪滅ぼしになる、と考えました。この気持ちが私の認知症ケアに対する原動力となっています。

私のような人もなくしたい

正義を貫くのは自分も深く傷つきます。正論を振りかざしていても、実際に虐待が疑われる場面に遭遇したときに行動できない人をたくさんみてきました。そういう人にだけはなりたくないと思っています。もしこの先、また同じことがあったら私は間違いなく告発をすると思います。でも、告発はたくさんの人が傷つきます。あのときは自分のことに精一杯で周りのことを考える余裕がなかったのですが、後になってシフト変更とかで元同僚たちにたくさん迷惑をかけたんだろうなと気付きました。だから、う告発させないでほしい。誰にもあんな思いをしてほしくない。だから、グレーゾーンをなくしたい。

あのとき告発していなかったら今の私はいない

自分が告発をしたことで、人の人生を変えてしまったことは今でも心に残っています。ですが、、後悔は1ミリもしていません。あのまま、なかったことにしておけば、大きな事故につながった可能性は否定できません。そして、私自身、あのとき何も行動を起こせていなかったら、今の私はないと思います。自己満足だったのかもしれません。でも、私は後悔はしていません。人として正しいこと、シンプルにこれだけを考えていきたいこうと決めました。

私を支えてくれる大切な歌詞

アンパンマンのマーチ

虐待を内部告発した日、退職になってしまったあの日、ずっとアンパンマーチを聴きながら泣いて帰ってきました。

“おそれないで みんなのために”

“例え、胸の傷が痛んでも”

愛と勇気だけが友達さ”

“何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのはいやだ”

“時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ微笑んで”

アンパンマンが自分の顔を人に与えるあのシーンには、「自己犠牲なしの正義はありえない」というやなせたかしさんのメッセージが込められているそうです。高知旅行で、アンパンマン好きの姪っ子のためにやなせたかし記念館に行って、あのときのことを思い出しました。今でも自分の進む道がわからなくなったときは、この歌を聴いています。心地よい環境や今の立場、地位などを捨てる覚悟をもてるか。

最後に

内部告発をすることがいいわけではありません。私が告発した看護師さんが、今どのような状況にいて、私のことをどう思っているかはわかりません。恨まれていても仕方がないと思っています。その一方で、そのとき一緒に働いていた同僚が、私のセミナーに参加してくれたり、連絡をくれたりします。あのときは自分は一人なんだ・・・だと感じていましたが、数年経って、理解してくれていた人はいたんだ、と分かりました。これからも私は、私が思う正義を貫いていこうと思います。

認知症ケアにおける虐待のグレーゾーン

2018年6月17日

3 件のコメント

  • マージナルゾーンこそ最重要です。ガイドラインのことばも曖昧な日本語である限り、どうにでも曲解されてしまいます。正悪を感じ取るセンサーを磨き、弱者に寄り添えたのですね❗

  • 私の尊敬する市村さん、大好きな市村さん、やっぱり素敵です。人間として、看護師として、男前です。

    私は、市村さんが、病院を退職されたころから、ブログを拝見してました。非常口で、こっそり泣いていたことも知りました。

    それだけ、仕事に対して、あつい思いがあるんですもんね。かっこいいです。大好きです。

    これからも、一緒に、介護技術を学びましょう。そして、介護職から信頼される看護師を増やしましょう。

    私も、後を追いかけながらですが、頑張りますよ。市村さんと出会えて、幸せです私。ありがとうね💛

  • 私は昨年、躁鬱になり退職しました。
    その当時の施設長から、私の虐待を疑がわれてました。
    辞める日まで「あんたがやったんでしょ?」と、呪文のように問われ続けました。
    あまりにも嫌いになり過ぎて、その人の名前は忘れましたが、逆に訴える余裕も気力もなく、結果的に追い出された形になりました。
    仕事を辞めたら学校に行こうと思っていたので、4/1に退職届けを出したら、何故か前日の3/31付で退職扱いになりました。もちろん、学校に行く夢は途絶えました。
    もちろん、昨年1年間は療養のため働いていません。月1の通院、身体機能の低下、色々な物があります。当時色々なガマンをしていたので、私の奥歯は砕けていて、根っこがありません。いつ悪くなるか分かりません。両膝とも内出血ができるまで殴り続けた時もありました。もちろん、その辺りも信じてもらえてないでしょう。
    言葉の力は怖いです。言葉は暴力よりも過激になります。介護に戻る勇気は未だありません。
    私は今でも、施設から虐待されたんだなと思っています。