認知症の人の希望と介護家族の希望が違うとき

『何を幸せだと思うか』は人それぞれなので、家族であっても想いが完全に一致するということはありませんよね。介護現場では、「本人の希望」と「家族の希望」が違うケースが少なくなく、誰にとっての介護なのかわからなくなっている場面もみられます。今日のブログでは、家族についての考え方や私の経験から感じた介護家族について、そして専門職がどのように対応するか、ということについて考えてみます。

どちらかが折れているのが現状

完全に一致していなくても、大抵はこの2つのパターンで折り合いをつけていることが多いです。

①本人の意思に家族が合わせる

例)

本人
デイサービスなんて行かんぞ!!!
家族
はぁ・・・仕方がないよね・・・

②家族の意思に本人が合わせる

例)

家族
疲れた。。。デイサービスに行ってほしい・・・
本人
行きたくないが、仕方ない

個人的には、お互いがその状況に納得しているのであれば、どっちでもいいのではないかと思っています。お互いが完全に同じ方向に向くのを待っていたら、どんどん時間だけが経ってしまいまい、必要なサービスが受けられず後手に回ってしまうケースがあります。

家族も小さなコミュニティ

私は自分が養子縁組をしていることもあって、「家族」に対する考え方がちょっと違う部分があります。家族であっても、適度な距離感を保つということを大切にしていて、私は家族も小さなコミュニティだと意識しています(夫婦のみでもコミュニティ)。コミュニティの中の一人ひとりが自分の意見を持って、お互いを尊重しながら落とし所を見つけて行く、というのが感情的に楽なんじゃないかと思っています。

「実子」と「嫁」の違い

現場で様々な家族の形をみていますが、娘や息子などの実子がキーパーソンのケースと、お嫁さんがキーパーソンのケースでは、お嫁さんがキーパーソンのケースの方が折り合いのつけ方が上手いような気がします。これは、やはり「距離感」なんじゃないかと思います。

どうしても、実子は昔の親の姿と今の親の姿とのギャップを受け止められず、(とくに離れて暮らしていた場合)「こうあってほしい」という子供側の思いが強くなってしまい、こじらせてしまうケースも少なくありません。

一体化させない

家族というコミュニティの平和を考えた場合、私は「本人の幸せ」と「家族の幸せ」を切り離して考えることが大切だと考えています。この考え方を「市村さん、冷たいなー」と思う人もいるかもしれませんが、ここを切り離さないと、お互いが感情的な疲労や罪悪感などを必要以上に抱えてしまうのではないかと考えています。

本人と家族の希望が違うとき、専門職はどう対応する?

本人の判断能力があるときは、本人の意思が尊重されます。しかし、現場で問題になってくるのが、認知症で判断能力が低下している場合です。本人が認知症の場合、基本的に家族の希望が優先されます。昔の私は、この“家族の希望優先のサービス導入”や“家族の言いなりケアプラン”に大反対だったのですが(笑)、今はそこまで怒りは感じなくなりました。それは、最初は本人が望まなかったことでも結果的に本人にとって良い結果になるケースをたくさんみてきたからです。

本人が望まないことをするのが介護職は1番辛い

とはいえ、家族の希望優先が行きすぎているケースの方が、現場では圧倒的に多いのが事実です。

「家ではお風呂に入りたがらないので入浴させてほしい」

「食事量が減っているのでできるだけ食べさせてほしい」

「元気がないのでレクレーションに参加させてほしい」 

というような家族の希望が優先され

入浴したがらない人に何度も声をかけて無理強いする

「もう食べたくない」と言っている人に執拗に声をかけたり介助をする

座っているだけでもやっとな状態の人に無理にレクに参加させる 

というようなことをケアだと信じてやっているわけです。

これ、専門職はかなりしんどいですよね。本人が望んでいないことをわかっていて、それをやらなけけばいけないとき、「これって介護って言えるんだろうか?」と介護職は悶々とします。

家族に説明する力をつける

「家ではお風呂に入りたがらないので入浴させてほしい」

「食事量が減っているのでできるだけ食べさせてほしい」

「元気がないのでレクレーションに参加させてほしい」 

家族は、「本人にとってそれが良い」と思っているからこのようなお願いをしているわけです。でも、このような家族の希望を受けたケアマネージャーや相談員などは、“本当は本人にとって良いことではない”ということをわかっているはずです。このような場合、家族の希望をそのまま聞くのではなく、その希望の奥にどんな希望があるのかを探り、専門職としての提案をする力が必要だと私は考えます。

例えば、「元気がないのでレクレーションに参加させてほしい」という希望の奥には、“笑顔になってほしい”“生きる楽しみをみつけてほしい”などの思いがあるはずです。本人が嫌がるのにレクレーションに無理に参加させて、笑顔になるでしょうか?なりませんよね。どんどんサービス利用が苦痛になって、また家に閉じこもってしまうかもしれません。そのような、本人が望まないことをするとどんなことが予測されるか?ということをきちんと伝えていくことが本人も家族も事業所も楽になると考えます。

まとめ

認知症ケアでは、本人の意思だけを尊重していくことは現実的に難しいと思っています。結果的に本人にとって良い結果になると予測されるのであれば、家族の意思で進めていくことは悪いことではないと思います。だた、常に「本人が中心に置く」という視点だけは忘れないでいたいですね。