共感するのは「内容」ではなく「感情」

こんにちは、ブルーベル代表 市村幸美です。

先日誕生日を迎え、43歳になったのですが、7月まで41歳だと思ってたんですよ。42歳になった記憶がないので、昨年の誕生日をスルーしちゃったんでしょうね。私は時間の見当識が本当にズレてるので、自分が怖いです。

42歳が3ヶ月しかなかったんで、比喩ではなく、42歳はあっという間でした。

 

さて、今日は認知症ケアの妄想とか幻視への対応について。

前に何かの記事でも書いたように思うのですが、「妄想」や「幻覚」など事実ではないことに対して私は基本的に

否定も肯定もしない

というスタンスをとっています。

 

でも、認知症ケアの参考書などには「本人にとっての事実に寄り添いましょう」と書かれていますよね。

例えば

私だけ食事食べてない!(本当は食べているのに)

という妄想(記憶障害)があった場合

妄想だけど、本人にとっては事実だから、「今から作りますね」とか「厨房に作ってもらっています」というような対応をしましょう

みたいな。

 

私もやっていましたけど

・・・

時間とともにどんどんヒートアップしません?

ちょっと!
何時間待たせるつもり!!??

 

もう

話題を変えるとか不可能なレベルに達するじゃないですか。

どうすらいいのよ・・・みたいな

 

 

でね、気づいたわけです。

私、肯定・共感するポイントを間違えているんじゃないか?と。

 

共感すべきは

「食事を食べていない」

という内容ではなく

「今どんな感情なのか?」

のほうなんじゃないか?と

 

「食事を食べていない」という言葉だけ受け取ると、対応は「食事を提供する」ということにしかならない。

食事を提供して欲しいと思っている人もいるだろうけど、皆がみんなそうとは限らないはずです。

「私だけ意地悪をされた」

「淋しい」

「馬鹿にされている」

という気持ちを理解してほしいと思っている場合も多いように感じます。

 

この感情こそが、本人にとっての事実なのではないでしょうか?

 

最初に私は、「妄想」や「幻覚」に対しては否定も肯定もしないと書きましたが、この「感情」に対しては全力で共感します。

だって事実だから。

幻視に対して、自分も見えてるように対応するというのもよく聞きますが、私はしません。妄想と同じでひたすら感情に共感するだけです。

場面にもよりますが、感情を吐き出し落ち着いたら、「私には見えないです」という私にとっての事実を伝えることもあります。

いつものことですが、決してこの対応が正しいわけではないので、参考程度にしてください(笑)

さて、明日から東京主張です。台風の影響が心配です。

では、またー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です